みどり音楽企画の徒然日記
プロフィール

みどり音楽企画

Author:みどり音楽企画
芸術をこよなく愛する
みどり音楽企画の代表取締役。
美術館・水族館・デパ地下と
固めのバームクーヘン大好き。

いつか、大きな鯉を抱きしめてみたい!
無謀な大きな夢はいつ叶うやら・・・。

看護師でもあり、包帯巻かせると
出来上がりは芸術品。
栗きんとんとハンバーグは
まかせておいてッ!
お料理だけじゃあないよ、
今年もいい公演つくります!!



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三沢厚彦 の アニマルズ~!!
シャインマスカット20131010

芸術の秋です。

実りの秋ですよ。

落ち込んでいる暇などない。

落ち込んだから、また少しづつ浮いていくかな。

12・13と浜松駅前のキタラや遠鉄デパートのソラモ、ザザシティの周囲、アゴラ静銀やヤマハさんも協力して下さって
今年でもう第7回になりました、「やらまいかミュージックフェスティバル」が無事終了しました。
立ち上げのときから何度も会議にでて、感動の初回、二回目は舞台監督をやった。
美しい声とギターのデュオ「もやし]さん、サックスの坂本佐智子さん、熱いギターの熱田さん 懐かしい顔が見えて年に1度の同窓会みたい。
今年は私は何をしたかって? ハイ、昨年に引き続き2日間 救護班の看護師として参加しましたよ=。
白衣着てたら ねえ、コスプレ?って何人にもきかれましたが(笑)本物よ~。

シャーク団のかっちョいいリーダーさ~ん、本番中にステージから「看護師のおねーさーん」って(笑)叫んで下さってアリガト~~!!

みんなが力を合わせて終えることができて本当に素晴らしい。

アクト通りでは餃子のイベントもしていたようです。
協力して大きな浜松の文化的な行事にできるといいなあと心から思います。

で、ヨ~頑張ったワタシって、癒されたくて
浜松市美術館では 
「三沢厚彦 ANIMALS IN HAMAMATSU」
13日は主人と美術鑑賞。

すごーい、すごーくおおきいーー!!!
おおきい~~~くまっ!

もう、なんて大きな木彫りの動物たちなんだろう。
こうふんしゅる~~!

写真やチラシを観てへ=って思うだけでなく、とにかく行って見てみて。

見て、感じ無くてはわからない 面白さがあるよ。
触っちゃだめだよ、触りたくなるけどね。
樟(くすのき)を使って彫っているらしいのですが、いやはやその迫力には笑える。

ワニの大きさったら、10メートル位はある?ステキ。
浜松市美術館にしては本当にモダンな内容に展示してあるし、なんせその木彫りの動物たちが力強くって足やお尻の肉付きやしっぽ、その表情の、目の神々しさったら。

ま、見て下さい。実物を。

癒された~。

2013年10月5日~12月1日 
浜松市美術館 浜松市中区松城町100-1
電話 053-454-6801  9:30~17時  月休 一般1,000 




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逃げられない

おおきく落ち込んでいて

なかなかブログも書けないかんじでした。

は~~~~~、英語だよ・・・・。

先週とある集まりにご招待されて、張り切って伺ったものの、ええ、もちろん楽しみましたが、
より楽しむためには 英語だ。
ここは日本だから、日本語を話せばいいんだと威張っている場合じゃなかった。

やるなら いつよ? 
・・今でしょ!
ショックを受けた今なんだな・・・とりかかるには。





 作家 山崎豊子さん お亡くなりに


山崎豊子 さんが死んでしまった!!!
 手塚治虫氏が亡くなられたあの時以来の 大ショックだ。

このように緻密な取材に基づく心の奥に沁み込む文章、風景が見える文章表現、
まさにがっつり読み応えのある小説を書ける作家が、今後出てくるのだろうか?
そんな時代はもう訪れないような気がする。
漫画の 手塚治虫先生がお亡くなりになった時は泣けた。
漫画ではない、人間教育なんだ。

 本当に寂しい。。。。。。

必死で読み漁った「白い巨塔」。
テレビ化され あまりに適役の田宮二郎演じる財前五郎にシビレてしまっていたあの頃・・・
本当に看護師になって、大学病院での回診はまさにあのような白衣の教授、先生たち。
ふと思うと、、、懐かしい。
「沈まぬ太陽」・・・なんという内容だ。全部読めるかどうかと思いながらも必死で読み終えた。

「社会性のあるテーマに切り込んだスケールの大きな作風でベストセラーを生み続けた作家、山崎豊子(やまさき・とよこ、本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが29日、心不全のため死去した。88歳。

 大阪・船場の商家に生まれた。1944年、京都女子専門学校(現京都女子大)国文科を卒業して毎日新聞に入社。大阪本社調査部を経て45年、同学芸部に移り、副部長(デスク)だった故・井上靖さんから新聞記者の手ほどきを受け、作家としての資質を見いだされた。

 新聞社勤務の傍ら、生家をモデルに10年を費やしたデビュー作「暖簾(のれん)」を57年に刊行。翌年、大阪女のたくましさを描いた「花のれん」で第39回直木賞を受賞したのを機に、毎日新聞を退社し、作家に専念した。

 パリを舞台にした「女の勲章」(61年)の取材中に元同僚と結婚。旧家の遺産相続を扱った「女系家族」(63年)、大学付属病院を舞台に医学界の暗部にメスを入れた「白い巨塔」(65〜69年)をはじめ、閨閥(けいばつ)政治と資本の癒着を追及した「華麗なる一族」(73年)など、実地調査と取材に基づいて社会問題に切り込む長編小説を相次いで発表した。

 その後も、シベリア抑留を扱った「不毛地帯」(76〜78年)、日系2世の兄弟の悲劇を描いた「二つの祖国」(83年)、中国残留孤児の数奇な運命をたどった「大地の子」(91年)の戦争3部作で社会派作家としての評価と人気を不動のものにした。

 93年、「大地の子」などの印税を基に「山崎豊子文化財団」を設立し、日本に帰国した中国残留孤児の子供の学資を援助した。

 日航ジャンボ機墜落事故を素材にして200万部を超えるベストセラーになった「沈まぬ太陽」(99年)の後、「山崎豊子全集」(全23巻)を2005年に完結させた。

 09年には、沖縄返還交渉時の密約報道事件を基にした「運命の人」を刊行し、同年の毎日出版文化賞特別賞を受賞した。作品の多くが映画、ドラマ化され社会的な反響を呼んだ。」9月30日毎日新聞より抜粋

また書店では追悼のコーナーで飛ぶように売れるのか。。。
どちらにせよ、多くの人が興味を持って本を購読するのは良いことだと思う。

山崎豊子さん、素晴らしい作品の数々 ありがとうございました。
安らかにお眠り下さい。