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みどり音楽企画の徒然日記
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みどり音楽企画

Author:みどり音楽企画
芸術をこよなく愛する
みどり音楽企画の代表取締役社長。
コーヒー・ナポリタン・モンブラン・お肉・杏仁豆腐好き

看護師でもあり、包帯巻かせると
出来上がりは芸術品。

お料理だけじゃあないよ、
今年もいい公演つくります!!



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この7月は その1
20130727 花巻の百合

あさってからもう8月に入りますね。はやいなあ。

この7月はなんだかあちこち飛び回っていたような。

この写真の百合も、花巻温泉のバラ園で購入して、自宅へ送ってきたもの。
固いつぼみが見事に咲きました。山ゆりね。とてもいい香り。
7月14・15と新幹線で新花巻駅 レンタカー借りて~花巻温泉で、素晴らしい景色と甘い木の香りと美味しい空気、ほんとうに美しい岩手の初夏のみどりを満喫してきたところでした。
駅には(現花巻市博物館の職員の)伊藤順子さんが笑顔でお迎えして下さって、嬉しくてつい抱きつく私に慣れてくれた様子(笑)
花巻の博物館ではいま葛飾北斎展を開催中で(8月25まで)、天才的な北斎の様々な漫画が楽しめます。グッズもいろいろ売っていますよ。
常設展では花巻の歴史が良く分かるし、時間になるとミニ機関車が走るのよ~。
え、きゃ~~、中島さんも会いに来てくれたの?可愛いお嬢さん連れて、はじめまして!
騒いでるからって変なおばさんじゃないのよワタシ、お母さん方にもお世話になって、今日会えてほんとに良かった。

9月7日~11月17日はあの美しい切り絵の藤城清治の光のファンタジー展が予定されています。

そして博物館からすぐ坂の上にある宮沢賢治記念館へ。(開館時間8:30~17)

~宮沢賢治記念館は、詩や童話、教育、農業、科学と多彩な活動を繰り広げた賢治の世界に親しんでもらうための施設です。昭和57年(1982年)9月21日(9月21日は賢治の命日にあたります)に開館いたしました。
 開館以来、賢治を愛好する方々や、全国各地からの観光客など、多くの方々に足を運んでいただいております。
 宮沢賢治記念館では愛用のチェロや、自筆原稿など賢治ゆかりのものの展示のほか、ビデオやスライド、図書資料などで賢治宇宙にアプローチすることができます。イーハトーブの世界をぜひ一度、あなた自身で感じ取ってみてはいかがでしょうか。~

久しぶりにお会いする大好きな方たち、牛崎さんや太田さん、そして佐藤館長さんが笑顔で迎えて下さいました。
たくさんのお客様でしたが、館へ向かう木々のアプローチや、この館内から見える景色の素晴らしいこと。

何回訪れてもため息が出ます。
ここに来ると必ず飲みたくなるのがティーサロンのアイスコーヒー。
星型のガラスコップに入ってステキなんですよ。

以前 演奏会と宮沢賢治の詩の朗読会で松岡淳さんが弾いてくれたピアノには、今回大きなニャンコが座ってました。

高村光太郎のこと・・・。
なぜ宮沢賢治と関係があるのか今回の旅でわかりましたし、「高村山荘」 光太郎が7年滞在した家も保存されていてそれも見に行きました。
智恵子を愛し、「智恵子~!」と幾たびも名前を呼んだといわれる丘にも登り、その景色も見てなんだか納得し、
高村光太郎記念館にも初めて訪れました。

道 程

     僕の前に道はない
     僕の後ろに道は出来る
     ああ、自然よ
     父よ
     僕を一人立ちにさせた広大な父よ
     僕から目を離さないで守ることをせよ
     常に父の気魄を僕に充たせよ
     この遠い道程のため
     この遠い道程のため

                           高村光太郎


他にもたくさんの名作があります。

私達はもっともっと 学ばなくてはならない。


 高村光太郎(1883-1956)は、江戸末期から明治期に活躍した木彫家・高村光雲(1852-1934)の長男として東京・下谷に生まれ、幼い頃より後継者としての修練を与えられました。父から江戸時代そのままの指導方法によって木彫の基礎を学んだ光太郎は東京美術学校で木彫の他に塑造を学び、卒業後アメリカそしてフランスに留学します。
 帰国後の光太郎の活動は、彫刻よりも文筆活動によって広く知られるようになります。日本最初のポスト印象派宣言とも、あるいはフォーヴィスムの先駆とも評される「緑色の太陽」(1910)に代表される評論、『道程』(1914)、『智恵子抄』(1941)などの詩業、そして『ロダンの言葉』(1916)といった翻訳は、芸術家である彼の存在を印象付けました。
 その一方で光太郎は、彫刻の制作とその発表については慎重であり続けました。残念なことに1945年の空襲によって彼のアトリエは被災し、多くの彫刻作品がうしなわれ、彫刻家としてのあゆみは全体像が見えにくいものとなってしまいました。そして、疎開による環境の変化は、彫刻を制作する機会の妨げとなりました。しかし彫刻家の歿後、戦災を免れた作品によって直ちに遺作展が開催され、今日に至るまで数多くの展覧会で彼の彫刻は近代日本を代表する作品として取り上げられています。

館を出た途端おなかがすいて、光太郎蕎麦 なるお店がすぐ横にあり、

迷わず入店。

やさしいご主人、素朴なおそば。

なんと美味しいことか。

やはり来てよかった、花巻。





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